TOP > 著書一覧 > | 一覧 | 前項 | 次項 | 戻る |
誤りと偽りの考古学・纏向 |
|
「土の虚塔」が、築かれている 奈良県は、邪馬台国砂漠の地といってよいほど、 『魏志倭人伝』と結びつくような遺跡・遺物にとぼしい。 この地に、思い込みと、思いつきと、「解釈」によって、 ディズニーランドのお城をつくるような感覚で、 卑弥呼の居処・宮殿・城柵が、つくられていく。 フェイク(偽の)ニュース、大本営発表に、だまされるな。 |
目次へ |
本書「はじめに」より |
邪馬台国問題が、旧石器捏造事件に、よく似てきている。このことについては、すでに、何人かの考古学者が警告を発している。 東海大学教授の考古学者、北条芳隆(ほうじょうよしたか)氏はのべている(傍線を引き、その部分をゴシックにしたのは、安本。以下同じ)。 「いわゆる邪馬台国がらみでも、(旧石器捏造事件と)同じようなことが起こっている」 「証明を抜きにして、仮説だけがどんどん上積みされており、マスコミもそれをそのまま報じている。」 「近畿地方では、古い時期の古墳の発掘も多いが、邪馬台国畿内説が調査の大前提になっているために、遺物の解釈が非常に短絡的になってきている。考古学の学問性は今や、がけっ縁まで追いつめられている。」(『朝日新聞』2001年、11月1日、夕刊) 明治大学の名誉教授で、日本考古学協会の会長などもされた考古学者の大塚初重氏も、やはり『朝日新聞』紙上で、旧石器捏造事件にふれ、つぎのようにのべている。 「60年代以降、開発が進み、事業者の負担で何万平方メートルも一気に掘るようになる。そして、成果が出れば、日本最古だ、最大だと、マスコミがはやし立てるわけです。あげくに担当者も「時の人」として祭り上げられる。 ぼくは、あの事件(安本注・旧石器捏造事件)は、成果を求めすぎ、結論を急ぎすぎたゆえに起きたと思っています。学問にはきちんとした方法論とそれにのっとった論証、さらには議論が必要なのに、捏造事件では関係者と周囲がそれをおざなりにした。 学問は一朝一夕にはならない。結論を急いではいけないのです。かまびすしい邪馬台国の所在地論争にも今、同じことを感じています。」(『朝日新聞』2018年、7月4日、朝刊) この、大塚初重氏の発言は、奈良県桜井市の纒向学研究センターが、2018年の5月14日に、纒向遺跡出土の桃の核(殼。種の固い部分)の、炭素14年代測定法による測定結果が、邪馬台国や卑弥呼と関係をもつかのようにマスコミ発表してから、二ヵ月たらずあとの時期の新聞にのっている。微妙で意味深長である。 この、纒向出土の桃の核の炭素14年代測定法による測定の話については、この本のなかの、あとで、ややくわしく検討する。 ---------------------------------------------------- 省略 ---------------------------------------------------- 「ぼくはこれからも本当の学問は町人学者が生みだすだろうとみてる。官僚学者からは本当の学問は生まれそうもない。」 「今日の政府がかかえる借金は、国立の研究所などに所属するすごい数の官僚学者の経費も原因となっているだろう。」(以上、『季刊邪馬台国』102号、梓書院、2009年刊) 「僕の理想では、学問研究は民間(町)人にまかせておけばよい。国家が各種の研究所などを作って、税金で雇った大勢の人を集めておくことは無駄である。そういう所に勤めていると、つい権威におぼれ、研究がおろそかになる。」(『森浩一の考古交友録』[朝日新聞出版、2013年刊]157ページ) これは率直にして、かつ、きわめて深刻な意見である。森浩一は、見聞きした経験にもとづく本音をのべている。 このように、厖大な「税金」が「無駄」に費消されている。 心ある考古学者たちは、すでに、発言しているのである。このように、同業の考古学者たちがみても、ひどすぎるのではないかと、眉をひそめる状況が存在している。 考古学に関連する人類学その他の分野の学者も、考古学の世界のあり方について、警報を発している。 旧石器捏造事件がおきたとき、人類学者で、国立科学博物館人類研究部長(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授併任)の馬場悠男(ばばひさお)氏がのべている。 「今回の旧石器遺跡捏造事件に関しては、日本の考古学者たちの特殊な状況が遠因であると推察している。すなわち、高齢あるいは著名な権威者に対する過度の追従、科学的批判精神の不足、下部現場担当者と上部機関研究者との二重構造性、確率統計的な蓋然性と再現性に対する認識不足、などである。」 「考古学界全体として、『年功序列と慎み深い意見発表』ということで、先輩の業績にたいしては批判しないわけです。批判すると、『お前は生意気だ』なんてことになって、先輩から恨まれてしまう。うっかり若いうちに批判すると、永久にまともな職に就けない可能性が大いにあったわけです。」 「批判をするかしないかは自由なのですが、今回みたいに、今までの常識とは整合しない『大発見』によって、列車『前・中期旧石器号』が断崖絶壁に向かっている場合には、手をこまねいていてよいのでしょうか。少なくとも列車から降りて、大声で叫ぶ必要があるでしょうし、できればポイントを切り替えるなり、前に出て止める工夫をすべきだろう、と思います。しかし、そういうことをした考古学者はほとんどいませんでした。」(以上、春成秀爾編『検証・日本の前期旧石器』学生社、2001年刊) 「ストップ詐欺被害!」という警告は詐欺師たちだけのためにあるのではない。一群の考古学者たちは、みずから意識せずに、社会に被害を与える存在となりつつある。 この本では、考古学の、このような構造じたいも、ややくわしく見て行きたい。 大きな金額が動けば、それを動かすための組織ができる。それを差配する人たちが生まれる。そしてまた、それを少しでも獲得しようとする人たちがあらわれる。石や上の巨塔が生ずる。 マグマはたまっている。 考古学は、いつ爆発してもおかしくない爆弾をかかえている。 この本は、暴走列車のポイントを、できれば切り替えるべく、手をこまねかずに止めるべく、書かれたものである。 私は、このような本を、この1冊にとどまらず、書き続けようと思う。そのための材料は、あまりにも多い。 国全体のことを考える人は、声をあげて欲しい。 奈良県桜井市の「考古学」は、ほとんど、組織的な「研究不正」に近づいている。 では、まずわかりやすい事例として、「ベニバナ論争」をとりあげることからはじめよう。 |
上へ |
TOP > 著書一覧 > | 一覧 | 前項 | 次項 | 戻る |